旅の履歴書

1986年11月〜1987年1月 ペルー、ボリビア

初めての海外旅行(2ヶ月)、インカの遺跡を見るために日本を発つ。
しかし、感動したのは遺跡よりも、アマゾン源流(タンボパタ)の自然だった。
そして、旅することの面白さを発見!

1988年1月〜1988年3月 タイ、マレーシア、インドネシア

いわゆる、卒業旅行(2ヶ月)。前回のペルー旅行と比較すると、危険が少なく、楽チン。
東南アジアの熱帯雨林と、タイ・インドネシアの遺跡を巡る。
旅の終わり、インドネシア・スマトラ島でデング熱に罹り1週間入院。旅の辛さも知る。
更に帰国後まもなくマラリアを発症。即刻、隔離病棟に入院。(赤痢患者とこっそり病院を抜け出し、缶ビールを買って近くの公園で花見)1週間で無事退院。

1989年9月〜1991年1月 東南アジア(タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ラオス、
フィリピン)とオーストラリア

インドに行くつもりで日本を発つが、途中で予定変更。ボルネオの自然にハマる。
マレーシア側(サラワク、サバ)とインドネシア側(カリマンタン)とで5ヶ月間、主に国立公園を訪れる。(この時バードウォッチングを始めた)
オーストラリアへ一時出稼ぎ、日本食レストランでバイトをする。
日本への帰路、再び東南アジアをぶらり、ぶらり・・・。

1991年8月 マレーシア(サバ州)

就職後、初の海外逃避10日間。またもやボルネオ、サバ州。
キナバル国立公園とポーリン・ホットスプリング周辺でネイチャーウォッチング。

1992年12月 コスタリカ

正月休みを利用し、無理矢理クリスマスから休暇奪取(2週間)。憧れのコスタリカへ。
モンテベルデの熱帯雲霧林は、まだ雨季の終わり。
ベストシーズンに長期休暇が取れないサラリーマンの悲しさよ!

1993年10月 インドネシア(カリマンタン)

再度ボルネオ、今回はインドネシア側(カリマンタン)。
遅い夏季休暇(12日間)を利用し、以前訪れたクタイ国立公園を再訪。
3年の間に国立公園隣接の石炭開発が更に進み、またジャワ島等他地域からの移入が増え、国立公園は森林の盗伐、密猟の被害も・・・。大規模森林火災に加え、人災、後を絶たず。

1994年12月 タイ

正月休みを利用しタイへ。タイ最大(面積)のカエンカチャン国立公園を中心に11日間。

1995年10月 カンボジア

1993年のカンボジア選挙から2年。念願のアンコールワット遺跡見学。
その壮大さに圧倒される。

1995年11月 タイ

初のアクセサリー仕入れのためバンコクへ、5日間。
サラリーマンの片手間に、休みの日は都内のとある公園でアクセサリーを広げる。

1996年2月 タイ

2回目の仕入れ、わずか4日間。今回もバンコク。
バンコクの交通渋滞はこの頃がひどかったような気がする。
帰国まもなくの人事発令で、4月より岡山勤務となる。あー、悲し!

1996年8月 タイ

3回目の仕入れ、わずか5日間。値段交渉も上達。

1996年11月 タイ

4回目の仕入れ、4日間の強行軍。

1997年9月 タイ、ネパール

5回目の仕入れ、初のネパール遠征(9日間)。カトマンズの商人はなかなか手強い。

1998年7月 タイ、ネパール

6回目の仕入れも前回に引き続きネパール(10日間)。バクタプルに足を伸ばす。

1999年8月 タイ、ネパール

7回目の仕入れ、これが実質最後となる(10日間)。ポカラまで足を伸ばす。

1999年11月 インドネシア

マイレージを利用しバリ島へ、わずか5日間。久々のインドネシア、インフレ及び物価上昇に驚く。

2001年10月 インドネシア

再度マイレージを利用しインドネシアへ、7日間。
スラウェシ島北東部のボガニナニワルタボネ国立公園を訪れる。
卵を土中に産み、地熱(ホットスプリング周辺)を利用して孵化させる鳥、マレオバードに感動。

2002年6月〜2004年5月 アジア・アフリカ

マダガスカルを目指し、まずはパプアニューギニアへ飛ぶ(?)。
パプアニューギニアからインドネシアの島を渡り、マレーシア、タイ、インドシナ三国を巡る。インドネシアではマラリアに罹り(2回目)3日間入院。タイからはネパールへ飛び、トレッキングを楽しむ(ランタン、アンナプルナBC)。ネパールからはトルコまで陸路で移動。
トルコからケニアに飛び、東アフリカ(ケニア、ウガンダ、タンザニア)の自然を満喫。 ケニアではサファリとケニア山トレッキング(自己最高地点の記録更新、4985m)。ウガンダではバードウォッチング三昧。
ケニアからマダガスカル往復(やっと当初の目的達成!)。マダガスカルでは再びマラリア発症(3回目)、更には足の指に8匹の寄生虫が・・・。それでも、マダガスカルの独自の自然を堪能する(バオバブ、キツネザル、カメレオン等)。
日本に戻る途中、エチオピアへ寄る。首都アジスアベバで膝を痛め1ヶ月滞在。毎日インジュラの食事。
ついでに、東南アジアにも寄り道し、ラオス、中国雲南省へ。主に少数民族の村を訪れる。上海より福岡へ飛行機で帰国。

2005年6月〜現在

ホンコンに入り中国広東省、広西チワン族自治区、貴州省、雲南省、ベトナムのサパ、ラオスを少数民族を訪ねて旅行中。2006年1月2日に再度中国雲南省に入る。
2006年3月より雲南省の昆明で中国語を学ぶ為に雲南師範大学に通っている。

 

○Artur-Hiroto Rodzinski's WebSite○

会社を辞めて旅に出た
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